極真会館 横浜田中道場 田中 明宏 代表師範 極真会館 六段 AKIHIRO TANAKA
同志社大学商学部在籍中に剛柔流空手を習得し、極真会館芦原道場にて極真空手を学ぶ。極真護身空手の普及に力を注ぎ、極真会館横浜田中道場の代表師範を務めるかたわら、極真会館力謝会の代表を兼務。
同志社大学商学部在籍中に剛柔流空手を習得し、極真会館芦原道場にて極真空手を学ぶ。極真護身空手の普及に力を注ぎ、極真会館横浜田中道場の代表師範を務めるかたわら、極真会館力謝会の代表を兼務。
空手と出合ったのは大学生のときでしたから、もう40年以上にわたりこの世界にいることになります。中学・高校時代はずっとバレーボールを続けていたのですが、大学に入ってふと「自分の身長ではこれ以上の活躍は期待できないだろう」と気付いたのです。
それならば、大学生活を思いっきりエンジョイしようと考えていたのですけれど(笑)、思いがけないご縁から空手どっぷりの毎日を送ることになりました。新入生としていろいろなサークルから勧誘を受ける中、肩を抱えられるようにして連れていかれた先が空手道場だった……というのがすべての始まりでした。
大学の空手部は剛柔流といって、対戦すること想定したものではなく「型」を重視した空手でした。その後、マンガ『空手バカ一代』の影響などから極真会館が注目を集めるようになり、私も一度見学してみようと極真会館の道場に出かけて行ったんですね。驚いたのは、大学の道場がひっそりと静まり返っているのに対して、極真会館芦原道場(京都)が押すな押すなの人だかりになっていたことです。当時の極真会館は「邪道だ」などと言われることもありましたが、寸止めなしで相手と戦う様子は迫力があり、「たしかに理にかなっている」と感じました。私はすっかり魅了されて、芦原英幸先生のもとで極真空手を学ばせていただくことになりました。
道場を構えるきっかけになったのは、サラリーマン時代の出会いでした。当時はヨーロッパや中国などへ出張することが多くあったのですが、あるとき中国の大連で極真空手の道場を見つけたのです。その道場を主宰していたのが極真会館浜井派の代表を務めていらした浜井識安先生でした。最初にお会いしたのが2011年10月、それから中国出張の度に先生のもとを訪れて計23回の出稽古をお願いするうち、「日本で極真空手(浜井派)を広める手伝いをしてもらえないか」と持ち掛けられたのです。そうして2012年4月、すすき野地区で『極真会館横浜田中道場』がスタートしました。
自分の道場を開いたとはいえ、当初は生徒が1人もいませんでした(笑)。そもそもサラリーマン生活を送りながら道場を始めたため、週末の土曜日・日曜日しか活動できませんでしたし。週末になるたびに誰もやって来ない体育館で1人、じっと誰かが現れるのを待つ……そんなことが3か月くらい続いて「もう辞めようか」と思っていたところに1人現れ、2人現れ、一年後には50人くらいの生徒が集まるようになりました。今では合計8か所の道場を構えるまでになり、下は3歳から上は80歳くらいの方が元気に通われています。
一年間で生徒が50人。この数字は空手道場としては異例とのことですが、私としては何か特別なことをしたつもりはありません。ただ、子どもたちが心身ともに健康的な生活を送るためには家庭、特に母親の存在が大きな影響を与えることに気付き、ママと子どもが一緒になって空手に取り組めるような環境をつくったことが良かったのかもしれません。ママが明るく元気に過ごしていれば、子どもたちも伸び伸びと、いい子に育つものですから。おかげさまで、今では黒帯を取ったママさんたちが子どもたちの指導をしてくれるまでになりました。
子どもたちに対しては、勉強を重視した「文武両道」の精神で指導を行っています。稽古の最後は毎回私の講和をすることにより、体だけでなく心の成長も促しています。昇級や昇段に向けて鍛錬する以前に、子どもたちが道を踏み外すことなく、真っ当な人間に育っていくようにと見守っている感じでしょうか。道場の卒業生が医学部や東京大学などに進学していることも、こうした指導が功を奏したと言えるのかもしれません。
一方でシニア世代の方々には、健康と元気を維持するための空手教室を開催しています。これはみすずが丘地域からスタートしたもので、特に道着などは着用せず、空手の型を中心に体を動かすことで健康維持・増進につなげていただくような内容になっています。今のところ男性の最高齢は80歳、平均年齢70歳で女性中心のシニアクラスになっています。
子どもたちには無限の可能性があります。私はそんな子どもたちに刺激され、自らも成長を続けるエネルギーをもらっています。昔はご近所に住むおじいちゃん・おばぁちゃんが子どもたちの安全を見守っていましたが、この道場はそんな「ご近所」としての役割を担っているように思います。私も子どもたちを自分の身内だと思って、一人一人を名前で呼び、時には愛情を持って叱ることもあります。未来ある子どもたちが一本筋の通った人間に育っていくように、これからも力を尽くしたいと思っています。
※上記記事は2023年10月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。
※新規登録またはログインすることにより、青葉区.jpの利用規約、およびプライバシーポリシーに同意したことになります。