この道に至るきっかけと、これまでの経緯をお聞かせください。
私の家は、先祖代々の医師の家系です。『横山医院』がこの地(東急田園都市線・江田駅から徒歩6分)で開業したのは、安政3年、1856年のこと。横浜が開港したのと同じ年のことになります。医院を開いたのは、私の曾祖父にあたる横山三省でした。三省は、本業である医療もさることながら、社会事業への貢献でも知られ、その最たるものとしてあるのが、福田会への協力でした。福田会は「ふくでんかい」と読みまして、いわゆる里親委託事業をおこなっていた団体になります。初代三省はこの福田会から委託を受け、何らかの理由で両親の元を離れざるをえなかった子ども達を引き受けていたのです。この事業は、私の父の代、終戦間際まで続けられていたようです。
私は、その初代三省から数えて5代目ということになります。家業を継ぐ意識と言いましょうか、医師を目指すのが当たり前であって、そこには何の疑問も感じてはいなかったように思います。横浜市大を卒業後、大学病院の医局に7年間籍を置き、神奈川県立成人病センター、今の神奈川県立がんセンターに勤務しました。父が体調を崩したのは、センターに勤めだして2年が経ったころ。多くの患者さんが待っておられる状態でしたので、その時点で私が父の後を引き継ぐという形になったのです。あれは昭和43年(1968年)のことですから、ほぼ半世紀がそれから経ったということになりますね。
患者さんにはどのような悩みが多いですか?
開業当初はこの辺りには小児科もなにも存在してませんでしたから、それこそ何でも診ていたものです。私なりに勉強を積んでのことでしたが、ご存知のようにその状況も少しずつ変わっていき、現在は大人の方だけを診させていただいています。病院におりました時は循環器内科に籍を置いておりましたので、多いのは高血圧や動脈硬化といったお悩みになります。あと、糖尿病が年を追うごとに増えてきましたね。
糖尿病は、食事と運動療法が基本になります。基本としてやせることが第一なのですが、そうは言ってもこれがなかなか…。時には厳しく諭すことも?いやいや、そんなことはありません。厳しく言ったからといって治るものでもありませんから。ご本人に自覚してもらい、深刻な事態に陥らないよう見守っていくだけのことです。
診療の際に心掛けていることをお話しください。
患者さんのお話をよく聞く様にしています。30分くらい話されている人もいますね。後ろに患者さんがおられることに気づくと帰られるんですが、そうでなければ、もう延々とお話になる(笑)。ほとんどが病気に関係のない話になりますが、時にそれが診療のヒントになることもあります。これも診察のうちと考えて、聞いてあげるべきと思っています。
高齢者介護施設を訪れてもいらっしゃるとか?
午前中はこちらで診察をおこない、午後はグループホームを廻っています。あらかじめ各々の施設で職員の方に目を配っていただいて、特に注意が必要な方を重点的に診ていくという形です。見守りというと表現が適切ではないかもしれませんが、顔色を見たり、食欲があるかないかを聞いたりといった感じですね。何か事があれば、夜中でも向かいます。私の場合、24時間、OKなのです。冬場は足が冷えちゃってあとあと大変ですが(笑)、それもお勤めのうちでしょう。健康にも恵まれ、幸いにしてこれまでお断りをしたことはありませんし、今後もそうでありたいですね。
最後に地域の皆様へメッセージをお願いします。
時間の掛かる悩みがおありでしたら、ご予約をいただければありがたいですね。たとえば、両親が認知症かもしれない、どうしたらいいの?といったこと。あるいは、糖尿病も食事や低血糖の危険性を含めてお話をしなければならないことがたくさんあります。診療をするからには私にも責任がありますので、事前にご連絡をいただき、ゆっくりとお話が出来ればと思っています。たとえですが、私は医療は「医師である」という矜持を抱いて、今後も診療を続けていきたいですね。
※上記記事は2015.4に取材したものです。
情報時間の経過による変化などがございます事をご了承ください。
横山医院 横山 博 院長 HIROSHI YOKOYAMA
- 出身地: 神奈川県
- 趣味: 畑仕事
- 好きな本・愛読書: 貧困の連鎖について、エネルギーについて書かれた書籍
- 好きな映画: チャールズ・チャップリン「独裁者」「街の灯」
- 好きな音楽・アーティスト: 何でも
- 好きな言葉・座右の銘: 天知る,地知る,人知る,我知
- 好きな場所・観光地: 京都・奈良